『関係する女 所有する男』 斎藤 環 [論説本]
図書館で借りて、ギリギリ読了。早く返しに行かないと。(苦笑)
感想をひとことで言えば、面白かった!
タイトルが、例のベストセラー本、『話を聞かない男、地図が読めない女』をもじったものであることは明白だけれど、売らんかなの戦略だけではなかった。むしろ、この本のテーマそのものであることが分かって、ビックリ。
ええんか? そんな風に断定してしまって。
でも、こちらの“区分け”は、生物的に脳みそがそうなっている、ということではなく、社会的に、そう育てられた存在、そう教育された存在、という意味合いらしい。
ある意味、目からウロコ的なキーワードだと思った。
分かり易いし(笑)。
第1章、第2章あたりで、脳論のような、単純な男女の区分けによる性質の違いを述べてしまうこと、それにさらにジェンダーを絡めて論じてしまうことに対して、批判を加えている。その辺は痛快。
ただ……。今やトンデモ認定されているらしい『~地図が読めない女』だけれど、巻末の方に“男脳度、女脳度を計るアンケート”が添えられていて、著者たちだけでなく、日本の訳者もトライしている。結果は、それぞれ現実の性とは関係なく、“脳度”が反転してしまったことが載っている。
日本人の女性の訳者も、「男脳度70%と出てしまった」と書いている。
私もやってみたのだけれど、この訳者と同じように、男脳度のほうが高く出てしまった。
これは一体どういうこと?
当時は、気楽なネタ本として読んでいたから、さもありなん、と安易に考えていたけれど……。つまり、ここで語られている男脳女脳というのは、社会的に形作られた“男性的(女性的)だと考えられている行動や思考形態”のことなのかと。
翻って『関係する女~』。
文中で単に「女」と書かれてしまうと、どうしても自分自身を含めて現実の、外見的、生物的な女性、を思い浮かべてしまう。難しい。
先程も書いたように、ジェンダー論なので、そうした“女性”がいかに狭い枠にカテゴライズされてきたか、そうしむけられて――教育されてきたか、と言いたいのだとは思う。
ただ……。第3章(第4章だったか)あたりの、著者の専門、精神分析を用いた論考になってくると、少々付いていくのが大変。
というのも、そもそも西洋から来た「フロイト」「エディプス・コンプレックス」「ファロス」「去勢」等々のキーワードで語られる現象が、よく分からないから。
現代の日本には当てはまるのだろうけど、近代以前の日本にも当てはまるのだろうか。
おかみさんが強かったと言われる、お江戸の男性陣にも当てはまるのだろうか。食事の支度、育児もせっせとこなしていたと言われる、江戸町民の夫たちにも?
……歴史物をせっせと読んでの勉強中なので、それこそトンデモなことを書いているのかもしれない、と思いつつ。
もちろん、現代の人々の「行きづらさ」を視野に据えての論考なのだろうから、そうしたツッコミは的外れなのかもしれないけれど。
- 作者: 斎藤環
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などと書いてきたけど、別に批判しているわけではなく、こうした新しい切り口で、“ジェンダー”なるものを論じられるのは、新鮮だしありがたいと思う。
昨今、流行(?)の“脳みそ中心に物事を考える”風潮に、釘を刺したという意味でも、なかなか楽しいし。
あと1つ。村上春樹の『海辺のカフカ』で、図書館でのフェミニスト2人連れがやってきて、一悶着起こるシーン。
彼女たちの、やや冷酷な描写と、同じく冷たい大島さんの応対。自分としては、大島さんというキャラクターは好きなのだけれど、ここでの“彼女”の言動には、少しばかりモヤモヤ感があった。
その辺を、村上春樹のフェミ論者に対する態度が出ている箇所だ、と談じているのは、なかなか興味深かった。
そっか、ハルキはフェミニストが嫌いだったのか……。
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