地元の図書館に、やっとネット検索機能が付いた、みたい [予約?]
愛知県図書館のホームページ内に、県内の図書館を横断して検索できるページがあるのだけれど、イナカの市町村では、チラホラと“抜ける”ところがあった。
つまり、県の検索ネットに繋がっていない、まだ完全なシステムになっていない、ということ。(未だに、抜けている施設があるということは、こちらの方面には予算が廻ってこない、ということなのか……?)
愛知県の文化度が知れるというものだけど、県のお役人さんたち、県議会議員さんたち、どう思っているんでしょうね?
私の住んでいる町も、長い間、同じ扱い。調べるたびに、むしろ近隣の小さな村の図書館に目的の本が入っていたりする。とっても焦れったかった。
図書館そのものは頑張っていると思う。(多分)少ない予算のなか、児童書コーナーへ入れられる子どもたちの本は、新刊もわりと早く、広く入荷しているのを見ると、大人の本の入荷が少々ヘボくても、まぁ納得できる。
とはいえ、いっちょまえにリクエスト(予約)受付してるくせに、いざ用紙に書いて持って行くと、「(上司と相談してきますので)しばらくお待ち下さい」と常套文句を口にして奥へ入ってしまう、という姿勢は、毎度のことながらイライラさせられる。
近ごろは、先に「(愛知)県図書館に入ってましたよ」と先んじて告げることにしてる。そうすると、「あ、そうなんですか?」「じゃぁ、そちらに予約を申し込んでおきます……」と、やっとその場で解決できるから。
ちなみに、名古屋市は、区ごとに図書館があるけれど、相互乗り入れ(?)をしていて、市内の他の図書館にあれば、そのままリクエストを受け付けてくれる。(検索も館内、市内と分けて調べられる)
いちいち、「他の図書館の蔵書になりますが」とか、もったいつけたようなことは言われない。当然のように受け取って、貸し出しも、いちいち○○の図書館のものですから、なんて言わない。(来た本の背表紙に貼られたラベルを見て、これは○○から来た本だな、とわかる程度)
実家が市内にあって、週に1度は仕事で出向くので、もっぱら図書課はそちらで利用することにしている。ネットで調べて、あれば――さすがに大抵のものはある――区の図書館で借りる、リクエストする。その方が簡単。
ただ、仕事が休みのときに返却日だったりすると……というのがデメリットといえばいえる。
だから、本当は、地元で借りるのがいちばん。返しに行くのも、簡単だし。
今回、地元の図書館が“横断ネット検索網”に入っているのが分かったけれど、肝心の借り出しの方は、どうなっているかな……。しばらく行っていないので、変わっていなくて、ガッカリして帰ってくるかも。
元旦から映画 [日記・コラム・つぶやき]
年末から映画づいている。DVDをレンタルして見るのは、すでに習慣のようになってしまった。オンデマンドTVが加わり、さらに身近になったところで、娘が映画館で見たいという。
年末の木曜日に、「レディース・ディで1000円」ということもあって、矢場町はパルコのセンチュリー・シネマへ『転々』を見に行き、 元旦は「ファースト・ディで1000円」ということで、『魍魎の匣』に行こう、と。
独身のころ、正月は暇ということもあって、元旦に映画館へ行くのが恒例行事化していた時期があった。シネコンなんて無い時代だから、窓口では行列。劇場内では、入れ替わりで空いた席を確保するのに押し合いへし合い。なんてことはざら。
そうして、大抵1度では満足できず、2廻りは見る。終わって出ると、昼過ぎ、あるいは夕刻。名古屋駅前には結構、小屋があったから――今でも、無いわけではないが――自転車で駅前へ行く。帰りには、ついでにデパートへ寄ってくる。それが定番だった。
今回の元旦映画館ツアー(なんて大げさなものではないけれど)は、そういう意味では、久々で懐かしい出来事。
さて、見たのは『魍魎の匣』
昔、角川映画が「見てから読むか、読んでから見るか」なんてキャッチコピーで映画と書籍の両方を宣伝していたけれど、こうした原作付き――というより映画化か――は、どちらかで印象が変わるということがあるから、難しい。
私は既に原作を“読んでしまっていた”派なので、今さらどちらを先にと選ぶことはできないが、娘は「見てから派」にしたらしく、原作は机の脇においたままになっていた。
彼女に言わせると、「人間関係の把握が難しい」とのこと。 たしかにね。多くの人が絡み、けれど、キャラクター小説的な面白さもあるゆえに、外せる人物はいない。映画化困難といわれたのは、単にストーリーが複雑だからというよりも、この人脈の複雑さゆえではないか。そんなことも考えてしまう。
ただ、四方八方から事件に絡んでくる人間たちを、京極堂という主人公が、文字どおり要になってまとまってゆく、まとめあげてゆく課程がまた、楽しいんだなぁ。
長尺の原作は、人物の描写があっちへ行ったりこっちへ来たりというのを、じっくり楽しめばいいけれど、2時間枠の映画はそうはいかない。よって、展開がものすごく早いし、台詞回しも速い。 その台詞で、人間関係を説明したりしているから、娘は多少、混乱して、最後まで理解しきれずにいってしまった部分もあったらしい。
ということで、京極堂の世界が全く初めてというのなら、原作を読んでいったほうがいいかもしれない。
映画の感想を……と思ったのだけど、長くなったので、またあらためて。
元旦から映画 [映画]
年末から映画づいている。DVDをレンタルして見るのは、すでに習慣のようになってしまった。オンデマンドTVが加わり、さらに身近になったこのごろ。
なのに(?)、急に娘が映画館で見たいという。
年末の木曜日に「レディース・ディで1000円」ということもあって、矢場町はパルコのセンチュリー・シネマへ『転々』を見に行き、元旦は「ファースト・ディで1000円」ということで『魍魎の匣』に行こう、ということになった。
独身のころ、正月はヒマ~ということもあって、元旦に映画館へ行くのが恒例行事化していた時期があった。シネコンなんて無い時代だから、窓口では行列。劇場内では、入れ替わりで空いた席を確保するのに押し合いへし合い。
なんてのも懐かしいなぁ。ああトシが……。
それはともかく、そうして大抵1度の鑑賞では満足できず、二回り見る(併映があった時代だからね~。大抵、2本立てだった)
終わって出ると昼過ぎ、あるいは夕刻。
名古屋駅前には結構、小屋があったから――今は小屋そのものは減ったけれど、シネコンで本数自体は増えているかも――自転車で駅前へ行く。帰りにデパートへ寄る。それが定番だった。
今回の“元旦映画館ツアー"は、そういう意味では、久々で懐かしい出来事。
さて、見たのは『魍魎の匣』
- 作者: 京極夏彦,山口雅也
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遙か昔、角川映画が「見てから読むか、読んでから見るか」なんてキャッチコピーで映画と書籍の両方を宣伝していたことがあった。こうした原作付き――というより映画化、か――は、どちらかで印象が変わるということがあるから、難しい。
私は原作を読んでしまっていたので、どうしてもそちらに印象が釣られる。
娘は「見てから派」にしたらしく、原作は机の脇においたままになっていたのだけれど、感想はというと、「人間関係の把握が難しい」とのこと。
たしかにね。
キャラクター小説的な面白さもあるとはいえ、外せる人物はいない。映画化困難といわれたのは、単にストーリーが複雑だからというよりも、この人脈の複雑さゆえではないか。そんなことも考えてしまった。
ただ、四方八方から事件に絡んでくる人間たちを、京極堂という主人公が、文字どおり要になってまとまってゆく、まとめあげてゆく課程がまた楽しいから、なおさら誰かを削るなんて考えられない。
長尺の原作は、人物の描写があっちへ行きこっちへ行き、物語そのものもそっちの道こっちの道へと逸れ、というのをじっくり楽しめばいいけれど、2時間枠の映画はそうはいかない。
よって、展開がものすごく早いし、台詞回しも速い。その台詞で、人間関係を説明したりしているから、娘は少々混乱して、最後まで理解しきれずにいってしまった部分もあったらしい。
ということで、京極堂の世界が全く初めてというのなら、原作を読んでいったほうがいいかもしれないですね。