ベースボール系は好きじゃないけど~女性アスリート [ニュース・クリップ]
◆【すごいぞ日本】ファイルXIII 「私」パワー(3)(産経新聞) - Yahoo!ニュース
思い浮かんだのは、マラソンの高橋尚子選手。男性コーチとの関係性で一見、「麗しい師弟関係」的な扱いをずっとされてきていたなぁと。そこから「卒業」して「自立」して、と“チーム高橋”への道を、語られてきていた。
見るたび読むたびに違和感を覚えていたけれど、なぜなのか分かった。
なぁんて、バレーボール“東洋の魔女”の時代から、(女性の)選手たち対男性コーチ、あるいは監督、といった図式は、まるで物語の定番のように見せつけられてきたから。
高橋選手の場合は、自分を優勝へと導いてくれる、純粋な“コーチ術”を信頼していたのであって、そこに「コーチのために」なんて気持ちは無かったと思うし、そんなの感じられなかったけどね。
メディアは、そういう扱いをしたがるものなのかな。
少し前に、フィギュア・スケートの安藤美姫選手が、ロシア人コーチとの恋愛に似た想い、みたいなものを週刊誌に書かれていて、違和感を覚えたものだった。(見出しにあっただけで、内容は知りませんけど)。
かつては日本も、女性選手を指揮するのはほとんど男性監督だった。カリスマ性や実績、人生経験が憧(あこが)れや疑似恋愛のように女性競技者を駆り立て、「この人のために」といった半ば自己犠牲の精神にも支えられて特訓に耐えた。 今は違う。例えば上野投手にとってソフトボールは自身の才能を確認し、アピールする手段だった。
思い浮かんだのは、マラソンの高橋尚子選手。男性コーチとの関係性で一見、「麗しい師弟関係」的な扱いをずっとされてきていたなぁと。そこから「卒業」して「自立」して、と“チーム高橋”への道を、語られてきていた。
見るたび読むたびに違和感を覚えていたけれど、なぜなのか分かった。
なぁんて、バレーボール“東洋の魔女”の時代から、(女性の)選手たち対男性コーチ、あるいは監督、といった図式は、まるで物語の定番のように見せつけられてきたから。
高橋選手の場合は、自分を優勝へと導いてくれる、純粋な“コーチ術”を信頼していたのであって、そこに「コーチのために」なんて気持ちは無かったと思うし、そんなの感じられなかったけどね。
メディアは、そういう扱いをしたがるものなのかな。
少し前に、フィギュア・スケートの安藤美姫選手が、ロシア人コーチとの恋愛に似た想い、みたいなものを週刊誌に書かれていて、違和感を覚えたものだった。(見出しにあっただけで、内容は知りませんけど)。
2009-02-23 09:11
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