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 『パーフェクトプログラム』読了 [他スポーツ]

パーフェクトプログラム―日本フィギュアスケート史上最大の挑戦

パーフェクトプログラム―日本フィギュアスケート史上最大の挑戦

  • 作者: 田村 明子
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2010/03
  • メディア: 単行本





 前著の『氷上の光と影』がトリノ五輪について書かれたものだとしたら、今回の本は、バンクーバー五輪について、といったところか。
 とはいえ、前半の部分は、あとがきでも触れられているように、五輪が始まる前に書かれたもの。後半部分が、五輪後の原稿。なので、選手個々の逸話が、前半と後半で少しずつ被っている。
 そのあたりは、やはりあとがきで筆者が、五輪の前に考えていたことと、五輪の結果を受けての考察とでどれくらい落差があるか、あるいは無いかを見てほしい、とも書かれているので、重複はあえて直さなかったのだろう。


 前半部分にある山田満知子コーチと、浅田姉妹、近ごろ進境著しい村上佳菜子選手との逸話は、なかなかに興味深い。伊藤みどりさんについての逸話も懐かしい。
 でも、筆者は違うが『フィギュアスケートに懸ける人々』に載っている話と被る部分が多く、すべてが新鮮というわけでもない。(それについては以前にも書いた。


 目新しいところといえば、元強化部長の城田さんと久永さんの話。背任騒ぎで辞任ということになったけれど、彼らが情熱を持って盛り上げようとしていたことが伝わってくる。(ある意味、手弁当だったゆえの横領騒ぎだったのだ、とも読める)

 ファンの中には、城田さんの悪口を言う人もいるようだけれど、野辺山合宿や、荒川静香選手(当時)への強化策など、素人ファンからしても、拍手を送りたい事柄は山ほどある。
 「メダルをどう獲るか、訊いてくれれば、いくらでも教えるのに」という城田さんの言葉は深い。



 ただ、選手個々について書かれた部分が面白いかといえば、それはノー。
 以前のエントリーで、

 “やはり選手や関係者に近い方が持っている情報は濃いはず、と思われるので” 

 と書いたけれども、雑誌やネットに上がった記事、さらにはTV番組で紹介された事柄の焼き直しが多く、五輪の結果についても、見たままでしかない。 (もっとも、そうしたものを読んでいない、見ていない人にとっては楽しいかもしれない)


 私としては、五輪前の章は、大会や戦績を書き連ねるだけでなく、その時々の選手たちの練習風景や取り組み、気持ちなどを、
 五輪後の章は、「なぜ、○○選手は、ミスしてしまったのか」「○○選手は、ミスのない滑りができたのか」といった、本当の意味での裏話が読みたかった。

 メンタル面は、コンディションは、選手村で選手たちはどう過ごしたのか、過ごさなかったのか。
 スタッフは、コーチは等々、「パーフェクト・プログラム」を滑るために選手(とそのチーム)が、五輪にどう臨んだのか。
 そうしたことが、一番知りたかったこと。


 その意味では、少々がっかり。
 別の“ジャーナリスト”の記事を、あるいは専門誌などを読め、ということか……。




 あれこれ辛口な批評を書いたけれども、私が五輪のフィギュアスケートに対して――というより新・採点法に対して、か?――疑いの眼を向けるようになったのは、この筆者の前著『氷上の光と影』による。
 いわゆる“妄想”をあれこれ考えるようになったのも。

 なので、この本の真骨頂は、五輪にはつきものといっていい、国同士の対抗意識と、それ故の行きすぎた暗躍(といっては言い過ぎなら活動、か)の話、かもしれない。

 それは翻って、プルシェンコ選手が発言していた“4回転”をどう評価するか、という話にも繋がってゆく。
 ここでは、「Number」ネット版にも載っていた、プルシェンコ選手に対する批判メールの話が取り上げられ、それに対する筆者の感想も書かれている。

 メダル争い、成績、となれば、ジャッジングに触れないわけにはいかない。“テクニカル・ジャッジ”の天野真さんのコメントをチラホラと挟んで、納得できる“筋”を探そうとしているけれども……。

 そもそも、ジョニー・ウィアー選手について、筆者自らが、「低く抑えられたジョニー・ウィアー選手の得点」 などとタイトル立てまでして書いているのだから、読んでいるほうは、半信半疑になるだろう。
 どうしても矛盾が生じてくる。読者を納得させようという文章と、筆者自らが疑念を向けている文章と。



 あとは、「音」について。今回の五輪で目立ったミス。この本でも触れられている小塚選手のフリー、高橋選手のSP。(ミスではないが、ライサチェック選手のフリーについても)
 書かれていないが、レピスト選手のSP(だったか)の出だしの音のミスもあったなぁと思い出す。

 ただ、そうした筆が、前著では全開だった女子の選手たちに向かっては、今回はあっさりした記述のみなのは、どうしてなんだろう?

 書きづらいのか、それとも筆者本人が、女子については、大した“裏”などないと本気で考えていたからか。 (――その証拠に、ユナ・キム選手について、韓国の連盟はカナダのコーチ陣に丸投げ状態で、ほとんど関わっていない、と書いている)




 余計な話。









 いわゆる“妄想”について、ブログやTwitterなどで、ファンの方の感想を検索してみた。Twitterでは、うまく探せなかった。そのなかでも、やはり、こうした感想はあるよな~と思われるものがあった。

Twitter / 春原 いずみ: 田村明子さんの「パーフェクト・プログラム」読んだ。
 ブログだと、比較的、詳細な感想が読める。

「パーフェクトプログラム」 - 気ままにフィギュアスケート!

南の国の太陽、空の色の獅子 | 「パーフェクトプログラム」(田村明子)

 私も読みながら疑問に思い、上記のブログや、Amazonの書評欄にもコメントされているのが、「過去の実績」云々という記述。
 これは、五輪後の「Number」誌の田村さんの記事にも同じような主旨で書かれていて、(え?)と思ったこと。

 新・採点法は、旧・採点法にあった“過去の実績重視"を排除しようとしている、と、この『パーフェクト・プログラム』の最初のほうで説明されている。 (だからこそ、怪我で前年を棒に振った高橋大輔選手がメダルを手にできたのだろう)

 だが、後半の女子のあたりになると――はっきり書いてしまおう。ユナ・キム選手と浅田真央選手の明暗が分かれた理由を、

 “少なくとも今シーズン1年を通しての実績ではないか”

 と書いてしまっている。 いや、前年度から(あるいは数年前から?)続く安定感が、

“「この選手なら思いっきり高い点数を出しても大丈夫」というジャッジの信頼を得ることができる“

 とある。
 浅田選手が、少なくとも今季、安定して点数を出していたら、五輪の表彰台は逆転していたかも、とフォローしているけれど、読んでいて、どうにも苦しい記述だなぁと感じてしまうのは僻みだろうか。




 もう一つ、余計な話。
 テクニカル・ジャッジの天野真さんのことを、取材相手でもあるから、ということか、好意的 (――と書いてしまうところが、私のスタンスを表してるなぁ。汗) に書かれているが、ファンの話から聞こえてくるのは、とにかくジャンプの回転不足を厳しく取るジャッジだということ。

 それも日米の女子選手に厳しい、という話はチラホラ耳にする。。彼がジャッジパネルに座ることが分かると、日米の女子選手たち(とコーチ)は、あわててプログラムの中身を精査し、チャレンジングなジャンプを避けて、安全策を取ることが多い、と聞いた。

 呆れた。
 本末転倒ではないか?
 チャレンジさせてこその「スポーツ」。なのに、(やたら厳しいジャッジが来たぞ~)ということで、それを避けさせてしまう。
 はっきり言って阿呆だと思う。本当に競技の発展を願っているの?

 TVの中継で、八木沼さんなどの解説者が「う~ん、足りてると思うんですけどね~」などと唸っている姿は、滑稽でしかない。
 昔から見てきたとはいえ、素人ファンに過ぎない私には、(そんな微妙な回転不足にとらわれて、何やってんだ?) と思ってしまう。

 だって、それで、はためには綺麗に決まったと見えたジャンプが、ほとんど点が獲れず、むしろ難易度の低い易しいジャンプのほうが完成度でさらに上積みされて得点が上だとか、馬鹿馬鹿しいったらありゃしない。


 鵜の目鷹の目であら探しをしすぎて、肝心なものを見失ってないか?

 本の感想で、こんなことを書いていても仕方がないけれど。



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