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元旦から映画 [日記・コラム・つぶやき]

 年末から映画づいている。DVDをレンタルして見るのは、すでに習慣のようになってしまった。オンデマンドTVが加わり、さらに身近になったところで、娘が映画館で見たいという。
 年末の木曜日に、「レディース・ディで1000円」ということもあって、矢場町はパルコのセンチュリー・シネマへ『転々』を見に行き、 元旦は「ファースト・ディで1000円」ということで、『魍魎の匣』に行こう、と。

 独身のころ、正月は暇ということもあって、元旦に映画館へ行くのが恒例行事化していた時期があった。シネコンなんて無い時代だから、窓口では行列。劇場内では、入れ替わりで空いた席を確保するのに押し合いへし合い。なんてことはざら。
 そうして、大抵1度では満足できず、2廻りは見る。終わって出ると、昼過ぎ、あるいは夕刻。名古屋駅前には結構、小屋があったから――今でも、無いわけではないが――自転車で駅前へ行く。帰りには、ついでにデパートへ寄ってくる。それが定番だった。

  今回の元旦映画館ツアー(なんて大げさなものではないけれど)は、そういう意味では、久々で懐かしい出来事。

  さて、見たのは『魍魎の匣

 

 



 



 

 昔、角川映画が「見てから読むか、読んでから見るか」なんてキャッチコピーで映画と書籍の両方を宣伝していたけれど、こうした原作付き――というより映画化か――は、どちらかで印象が変わるということがあるから、難しい。

  私は既に原作を“読んでしまっていた”派なので、今さらどちらを先にと選ぶことはできないが、娘は「見てから派」にしたらしく、原作は机の脇においたままになっていた。

  彼女に言わせると、「人間関係の把握が難しい」とのこと。 たしかにね。多くの人が絡み、けれど、キャラクター小説的な面白さもあるゆえに、外せる人物はいない。映画化困難といわれたのは、単にストーリーが複雑だからというよりも、この人脈の複雑さゆえではないか。そんなことも考えてしまう。
 ただ、四方八方から事件に絡んでくる人間たちを、京極堂という主人公が、文字どおり要になってまとまってゆく、まとめあげてゆく課程がまた、楽しいんだなぁ。

  長尺の原作は、人物の描写があっちへ行ったりこっちへ来たりというのを、じっくり楽しめばいいけれど、2時間枠の映画はそうはいかない。よって、展開がものすごく早いし、台詞回しも速い。 その台詞で、人間関係を説明したりしているから、娘は多少、混乱して、最後まで理解しきれずにいってしまった部分もあったらしい。
 ということで、京極堂の世界が全く初めてというのなら、原作を読んでいったほうがいいかもしれない。

 

 



 



 



 

 映画の感想を……と思ったのだけど、長くなったので、またあらためて。




 元旦から映画 [映画]





 年末から映画づいている。DVDをレンタルして見るのは、すでに習慣のようになってしまった。オンデマンドTVが加わり、さらに身近になったこのごろ。

 なのに(?)、急に娘が映画館で見たいという。

 年末の木曜日に「レディース・ディで1000円」ということもあって、矢場町はパルコのセンチュリー・シネマへ『転々』を見に行き、元旦は「ファースト・ディで1000円」ということで『魍魎の匣』に行こう、ということになった。


 独身のころ、正月はヒマ~ということもあって、元旦に映画館へ行くのが恒例行事化していた時期があった。シネコンなんて無い時代だから、窓口では行列。劇場内では、入れ替わりで空いた席を確保するのに押し合いへし合い。

 なんてのも懐かしいなぁ。ああトシが……。

 それはともかく、そうして大抵1度の鑑賞では満足できず、二回り見る(併映があった時代だからね~。大抵、2本立てだった)

 終わって出ると昼過ぎ、あるいは夕刻。

 名古屋駅前には結構、小屋があったから――今は小屋そのものは減ったけれど、シネコンで本数自体は増えているかも――自転車で駅前へ行く。帰りにデパートへ寄る。それが定番だった。

 今回の“元旦映画館ツアー"は、そういう意味では、久々で懐かしい出来事。

 さて、見たのは『魍魎の匣

文庫版 魍魎の匣 (講談社文庫)

文庫版 魍魎の匣 (講談社文庫)


 遙か昔、角川映画が「見てから読むか、読んでから見るか」なんてキャッチコピーで映画と書籍の両方を宣伝していたことがあった。こうした原作付き――というより映画化、か――は、どちらかで印象が変わるということがあるから、難しい。

 私は原作を読んでしまっていたので、どうしてもそちらに印象が釣られる。

 娘は「見てから派」にしたらしく、原作は机の脇においたままになっていたのだけれど、感想はというと、「人間関係の把握が難しい」とのこと。

 たしかにね。

 キャラクター小説的な面白さもあるとはいえ、外せる人物はいない。映画化困難といわれたのは、単にストーリーが複雑だからというよりも、この人脈の複雑さゆえではないか。そんなことも考えてしまった。

 ただ、四方八方から事件に絡んでくる人間たちを、京極堂という主人公が、文字どおり要になってまとまってゆく、まとめあげてゆく課程がまた楽しいから、なおさら誰かを削るなんて考えられない。


 長尺の原作は、人物の描写があっちへ行きこっちへ行き、物語そのものもそっちの道こっちの道へと逸れ、というのをじっくり楽しめばいいけれど、2時間枠の映画はそうはいかない。

 よって、展開がものすごく早いし、台詞回しも速い。その台詞で、人間関係を説明したりしているから、娘は少々混乱して、最後まで理解しきれずにいってしまった部分もあったらしい。

 ということで、京極堂の世界が全く初めてというのなら、原作を読んでいったほうがいいかもしれないですね。


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