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 『コドモのコドモ』~子どもたちの演じる妊娠出産 [映画]





 テストが終わったから映画でも、と高校生の娘に誘われて「シネマテーク」へ。

 正直、誘われなければ、見に行こうなんて思わなかった。これが問題作(と見てから聞いた)だからではなく、単にこの手の映画にうんざりしているから。

 ましてや妊娠、出産するのが11歳だなんて。平安時代でもあるまいに (最近、源氏物語と周辺本にハマっているんです) ロールプレイングか?

 なんて考えながらも、そこそこ楽しめたのは、久しぶりに行った小さな昔風の映画館の、“劇場効果”もあったのかもしれない。それに、テーマとしては、うんざりなんて言ってちゃ駄目で、いつの時代もきちんと描かれるべき事柄だろうし、と。

 主人公の春菜とクラスメートたちとのやりとり、春菜や他の生徒たちと担任の八木先生とのやりとりに、ケラケラ笑っている娘を見て、これはタイトルどおり、“コドモの”映画、“コドモの”ための映画かもしれない、と思えてくる。

 小学生の高学年ごろに、女性の月経などについてのビデオやフィルムを見せると思うのだが――最近の事情はよくわからない。男の子の説明もあるのかな――、内容的には、それに使えばいいのでは、と思った。

 ちょっとやり過ぎか。

 でも、自分たちと同世代が、妊娠・出産を演じてみせるのは、子どもたちにはむしろ分かりやすいのではないだろうか?


 ――と考えて、ちょっと腑に落ちた。映画の中で、学芸会で春菜のクラスがシェイクスピアの『真夏の夜の夢』を演じるシーンがあるのだけれど、この映画そのものを“子どもたちが演じている”としたら……。

 ちょっとややこしい言い方になったけれども、そう考えれば“小学生が妊娠・出産する”なんてことも、とくに問題ではなくなってくる。それこそ、セックスを“くっつけっこ”と称しているように、その後の経過も“ごっこ”だったのだと思えば。

 でなければ、これほど突っ込み甲斐のある、よくいえば深読みをさせてくれる映画もないよなぁ、と。


 反対派というか問題視する人たちが言いたいのは、まず“小学生にセックスなんて”といったところだろうが、それに加えて、“小学生が妊娠するかい”“出産できるかい”、それも“安産なんておかしい”といったあたりだろう。

 少し前にTVドラマで『14歳の母』というのを放送していたが、娘によると主人公の出産は、帝王切開だったらしい(私は見ていないので)。まぁ、いくら最近の子が発育がいいといっても、女性としての身体、機能は出来上がっていないと思われるので、当然だろう。

 (その点で、春菜のおばあちゃんが口にする、準備の出来ているところに、赤ちゃんはやってくる、といったような言葉は、ちょっと気になった。春菜を励ます言葉だとはわかるけれども、いみじくも“パパ”になるヒロユキ自身が、両親にとっては、「なかなか授からなかった子ども」だったように、世の中には不妊で苦しんでいる人たちも大勢いる。そうした人たちへの配慮が欠けた言葉かと。 私自身も「二人目不妊」だったので、余計に引っかかってしまった)


 どこかの評にあったように、ファンタジーと思えば、まぁマンガチックではあるけど――原作、漫画でしたっけ――、わるい作品ではない。子どもたちが団結して、一つのことを成し遂げるのを見ていて、感動しない人はいないだろう。

 ただそれが、その結果が“赤ん坊”=1人の人間の誕生、なので、(いくらファンタジーでもなぁ)と、なんとなく歯切れの悪さを感じるだけだ。

 そしてこのファンタジーぶりは、田んぼや畑の残る、祖父母と3世代同居という家庭のある田舎町のできごととして描いたからこそ、醸しだされるのだろう。(実際、生まれた赤ん坊を囲んで、“関係者”=春菜はもちろん、“パパ”も両親も姉もおじいちゃんも、そして八木先生までも、が宴会をするシーンが――って、これがラストだっけ――ある)



 あと少々、思ったこと。

 「暇~」と呟く主人公の春菜は、『千と千尋の神隠し』の千尋みたい。

 最初のころの春菜の口癖?は、「シネ(死ね)だし」&「チョー、ウケル(超、受ける)」。 気に入らない人や物事に死ね死ね口走ってる者が、命を授かる皮肉。

 ジェンダー教育、きちんとした科学的(?)性教育に熱心な先生が、そのことで自分自身を縛ることになり、テンパって子どもたちの話を聞けなくなっていく皮肉。そうして、子どもたちに反抗(というか無視)される皮肉。

 「あんたたちのことは全部、わかってる」というお母さんが、「あたしのここから出てきたんだからね」と自分の腹を叩く、ちょっと臭いシーン。(こういう表現、コミックスにはよくあるよな~と)

 春菜の秘密を見つけ、応援するよと言うおばあちゃん、「子どもは宝だ」と愛おしそうに赤ん坊を抱いて言うおじいちゃん。う~む、ちょっとボケ気味のおじいちゃんはともかく、おばあちゃんが応援する側に廻るというのは、理想的すぎないか? そこがファンタジーたる所以とも言えるけれども。

 そうして、春菜を元気づけた直後に、倒れるおばあちゃん。予想どおり。やがて入院したまま亡くなったらしい、ということを“1年後”の描写で知らせ、さりげなく“命のリレー”を伝えている。ただ、問題は、それこそ子どもたちにこれが伝わるかどうか。

 子ども力、老人力、なんて評価の載った新聞記事の切り抜きが、シネマテークの壁に貼ってあったけれども、これもある意味では、よく耳にするフレーズだよな~と。結局、そこかよ~、みたいな。

 あと、おばあちゃん役に草村礼子さんが扮していたけれども。遠景、バストショットまでは、らしく見えるのだけど、春菜との会話のシーンでアップになると……う~ん、美しすぎる(笑)。田舎のおばあちゃんには見えない~。




 ……と書いたあとで、試しに検索してみた。

 ら~、映画を見もしないで“感想”を書いてる人の多いこと!

 見ていないのなら、断罪するような書き方は慎むべし、だよね。てんで的外れだったら、恥を掻く羽目になる。

 こちらで、似たような感想を見つけた。

 こんな記事も。

映画/“子供の妊娠”にPTAから質問殺到! 『コドモのコドモ』ママさん試写会開催 - cinemacafe.net

 ↑ちょっと能天気な気もするけれど、頭ごなしに反対! とやるよりは、映画を見ての感想だから、オーケイかな。



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